PNSE・悟りスピリチュアル気功・エネルギー認知科学気功・現代気功

PNSE・悟りIスピリチュアル・気功・認知科学を横断して見えたこと

経験して見えたもの PNSE・悟り

こんにちは、あきらです。

この記事は、5月1日にPodcastで収録した『スピリチュアル時代に足りなかったもの|気功と認知科学の先に見えたもの』からブログ記事用にまとめた内容となってます。

私はスピリチュアル・霊界⇢気功・エネルギー⇢認知科学気功やコーチングと、なかなか濃いルートを通ってきたのですが、振り返ると全部バラバラではなくちゃんと線で繋がっていました。なので今回はどんなことをその時に感じ学んできたのか、そして現在認知科学気功、コーチングからその先のPNSEや悟りの部分までシェアしていこうと思います。

悟りとか人間とは何かとか、自我って何なんだろうとか、そういう人間哲学に興味がある人にはかなり面白いんじゃないかなと思います。

スピリチュアル時代の私に足りなかったもの

まず、スピリチュアル時代の私に足りなかったものは、【自分の基準値】と【現実を見るロジック】でした。

当時の私はもっと視える力、もっと受け取る力、もっと高次元とつながる力みたいなものを求めていたんですよね(霊視、チャネリング、ハイヤーと繋がるなど)

そして、うまくいかないことや疑問や悩みが出てくるたびに、その答えを自分の内側ではなく外の世界にあると思い常に取りにいっていました。

高次元の言葉や降りてきたメッセージ、視えた映像、不思議な現象。当時は本気でその中に自分が求める真実があると思っていました。

ここ、誤解してほしくないんですけど別に当時の体験が全部ウソだったとか、勘違いだったとか、そういう話ではないんです。実際に感じていたし体験していたし、その時はその時で本気でした。

ただ、今だから分かるのはあの頃の私は先ほど書いた通り、答えは外にあるという前提で動いていたということです。これって一見すると探求しているように見えるんですけど、実はかなり危うい状態。

なぜなら、外に答えを置く限り自分はいつまでも私は受け取る側だし、ある意味判断を自分ではなく人に委ねている状態だからです。

自分の人生なのに、自分で舵を握っていない。そんな状態でした。

『高次の存在がこう言ってた』
『守護霊がこう言っている』
『ついてる龍が、ああ言った』
『ハイヤーからのメッセージが』
『👽️宇宙人が….』

などなど😅いつも外から得たモノの対して、行動をするというパターンに陥ってました。

また初めて行ったスピリチュアルセッションでは、『私はこの仕事しかさせてもらえないんです』と微妙な顔をしながら言っているスピリチュアルカウンセラーの方がいましたが、当時は〚なんで???〛って思ってましたねw

スピリチュアルの文脈では、結構こんな感じの言い回しで言ってくる人が多かったのですが、今振り返るとなかなかおかしな状態だなと。なんで自分の人生なのに、自分でハンドル握れないの?なんで上の通りに行動してるの?と思ってました。

実際そういった人達と時間を過ごすことが増えてくると、それが当たり前の常識になってくるので、私自身も高次の存在などに振り回されていました。

またスピリチュアル時代の時に通っていたセッションで日本伝統式霊気を勧められ、講座を受講し、その後スピリチュアルヒーラーとして活動を始め、後にクライアントに憑いている霊と会話をして浄霊をするということをしていました。

この時の私の状態はこんな感じだったので👇️、自分ではない何者かに振り回されることが嫌になり、またエネルギーのことをちゃんとした人に教えてもらいたいことから、スピリチュアルと距離を取るようになりました。

🔹自分以外の言葉を真実だと思う
🔹不足や不安などを外側に原因があると思っている

気功・エネルギーで戻ってきた【自分軸】と基準値

そんなふうに自分以外の存在に振り回され、もうこれは嫌だなと思った先で辿り着いたのが気功でした。

しかも面白いことに最初から気功を学ぼうと思って探したわけではなく、たまたまたどり着いた流れの先に気功の先生がいたんですよね😅

そして気功の経験で私が得たものは、シンプルに言うと自分軸でした。

気功って外の何かとつながるための技術というより、【自分の気】【自分の感覚】【自分の変化】を識別できるようにしていく実践なんですよね。つまりここで初めて感知の主体が、自分に戻ってきました。

自分がフラットな時はどういう感じなのか。
違和感がある時はどうズレるのか。
外から来たものに対して『これは自分のものじゃないな』と分かる感覚はどういうものか。

そういう識別ができるようになったことで、私の中に基準値ができてきたんです。

この基準値ができるとエンパス的な影響もかなり変わります。私自身、スピリチュアル時代はそういったエネルギーの影響がかなり強かったし体調悪くなることもすごく増えてたんですが、気功を学んでからは体感として10分の1くらいまで減りました。

自分と外が違うと分かるだけで、こんなに楽になるのかと驚きましたね。

認知科学で分かった【現実はそのまま見えていない】

その後、同じ気功セッションで認知科学が入ってきました。

ここで私が受け取ったのは、人は外の現実をそのまま見ているわけではないということでした。

現実は認知⇢解釈⇢予測⇢注意⇢意味づけを通して立ち上がっている。
つまり、私たちは世界をそのまま見ているのではなく、ある意味で【自分が作った現実】を生きているわけです。

これが私にはすごく大きかったです。

なぜなら、スピリチュアル時代には外に置いていたものが、ここで一気にすべては自分から始まるという方向にひっくり返ったからです。外の何かが自分を決めるのではなく、自分の認知(ラベリング・条件付け)や解釈が、目の前の世界の見え方を大きく決めている。この理解が入ったことで、生きるのがかなり楽になりました。

もちろんここで言う『自分で現実を作っている』は、魔法みたいに都合のいいことだけを起こせるという意味ではありません。

生きていれば、やっかいなことや舌打ちする様な出来事も普通に起きます。

でも起きたことに対してどう解釈するか、どう受け取るかが変わると同じ出来事でもまったく違うものとして経験されるようになるんですよね。

「私ってついてないな」で終わっていたものが、そこで終わらなくなるんです。

このあたりで私は気功がくれた自分の基準値と、認知科学がくれた現実の見え方のロジックが、実は別々のものではなくつながっていると感じるようになりました。

そして、その先に見えてきたのが観察者というテーマでした。

悟り・PNSE・観察者の話はもっと抽象度が高い

ここから先はいわゆる悟り、PNSE、古代インド哲学みたいな話に近づいていきます。

母の影響で知ったOSHO・ラジニーシ

確か私が小学4年くらいの時だったと思うのですが、当時母は色々なことに心身ともに疲れ何かに縋りたかったそんな状態だったかと。そんな時に彼女が出会ったのはインドの宗教家、思想家、哲学者と言われた人物です。

ロンドン:サンデー・タイムズ紙
20世紀をつくった1000人の1人に選出された

インド:Sunday Mid-Day 紙
ガンジー、ネルー、ブッダとともに、インドの運命を変えた10人の1人

実際母からの影響で、OSHOの本を読んだのは中学2年生(確かマイウェイだったよーな…)もちろん意味は理解してないし、ただ読んでるという感じ。また17歳の時にはダイナミック瞑想というのも体験しました。

まぁだからと言って私がそのOSHOにハマっていたのかというと全然でw そこからは海外留学などで親から離れたのもあり、何をすることもなく時間だけが経過していき再度OSHOの本を手にするのはそこから約30年後。

スピリチュアル時代の時にふと『常に観察者でいなさい』とOSHOが言っていた言葉から、先程関連記事リンクの”MUJUD~説明できない生を生きた人~”という本というか絵本を購入しました。

OSHOが言う観察者は何を指しているかというと、自分の思考・感情・身体の感覚に巻き込まれず、それらをただ見守る純粋な意識のこと、本当の自分を指しています(厳密に言うと違うのですが💦)

少し前まではこの観察者という視点はある意味大周天だったり、メタ認知なのかなと思っていたのですが、どうやらそことはまったく違うものなんだと体験して気づきました。

実は、私はある時期から中途半端な幽体離脱をするようになったんです(恐らく30代くらいから)

通常、その中途半端な幽体離脱のときって視点が2つありますよね?

1️⃣肉体から見える視点
2️⃣中途半端に幽体離脱しかけている視点

ですが、それを全体から見ている視点があることに気づいたんです。
例えば幽体離脱しかけている時って、なぜかいつもそのエネルギー体は肉体に触れることをするんですが😅、その光景を全体から見ている視点が必ずあるんです。

それに気づいたときに、ん?なんだこの視点って思ったんですよ。

また以前通っていた気功セッション(慶氣エナジーラボ)中に、最後エネルギーワークをするのですが、いつだったか上の経絡にエネルギーを回しているときに幽体離脱しかけたんですよ😂

一瞬ではあったもの、意識が肉体に戻ったときにハッ!と我に返ったのですが、なんかねー自我がなくなる様な感覚だったからめちゃくちゃ怖かったんですよ(その後、恐怖で涙が出てしまった💧)

またこの幽体離脱に関しては、眠りに入る前に”あーこれ来る”って感覚で分かるのですが、これまためちゃくちゃ怖いの。意識と肉体が連動していないから、意識では起きているのに身体が眠っていて目を覚ましたいのに起きれない感じ…(世間では金縛りなんて言いますが)

【科学の視点:OBE】
幽体離脱⇢体外離脱は科学ではOBEと言います(Out-of-body experienceの略)
REM睡眠時は、脳波は覚醒時とほぼ同じくらい活発なのに、体は筋肉が麻痺して動けない状態から、この矛盾がTPJの統合をゆるめて「自分がどこにいるか分からない」状態を作り出すと言われてるみたいです🤔

☑️TPJ:Temporoparietal Junction
⇢視覚・触覚・バランス感覚・固有感覚を統合して自分の体はここにあるという自己所在感を作り出している脳の部位。

まぁ体外離脱は脳のバグらしいのですが、結構私はお昼寝をするとこれが頻繁に起きる現象があっていつも恐怖でしかなった。だって自分の意識は動けと身体に命令しているのに身体はまったく動かないから。

でも認知科学で【すべては自分から始まる】という知識と体験が蓄積していったお陰で、OBEが起きても”あー、またかぁ”と恐怖はなくなったし、最近は第三の視点を発見、体験したことから更に恐怖というものがなくなりました。

ある意味、OBE中にある第三の視点というのは境界線がない状態だとも言えます。肉体と空間の境界線がないって言ったらいんでしょうか?

人は3歳までには自我が形成されますが、その瞬間に自分と他との境界線が認知として出来上がります。だから体外離脱が怖いと強く反応が出たのは普通なんですよねぇ。

といっても、私が最近体験したこの感覚は日常にある感覚ではないので、死に対する恐怖はもちろん人並みに持ってます。ただ完全にこの視点や感覚で生きている人というのは、恐らく恐怖はかなり少ないのではないかなと🤔興味深い…

今の私が興味を持っていること

こういった道を歩んできた人ならば、やはり人間とは?の本質部分に興味を持ってしまうのは、必然ではないかと思う。過去私が経験したスピリチュアルや気功・エネルギー、認知科学。観察者の視点からみれば本質部分ではなく全て手段ではあったものの、当時の自分には必要だったのかなとも思います。

まぁ振り返るとなんとも変な経験をしてきたなぁとは思いますが、それもそれ。

最近は認知科学の認知(ラベリング・条件付け)を変えることで現実を変化させたり、また大周天という気功の技術を使って無意識のラベリングに気づく(書き換える)ことを日常的にしてますが、次のステップとして、今回の第三の視点から日常を書換えていくというものを取り入れている最中です。

そこでの気づきや感じたことをこれからも、Podcastを通して発信していこうと思うので興味がある人は聴いてください。






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